お母さんが亡くなり哀しむ暇もなく怒涛の日々が過ぎて参ります。
これも母の遺した気遣いと受け止め、かかる雑事をこなして参りましたがここに少しずつ緩慢になりつつあります。
ブログを書く時間を見つけたことが証拠でもあります。
さて、本題のイショクタでございますが、古典の稽古をしていますと何かと突然の思いつきも多うございましてそれも仏法についてですので今の私にとりましては考えずにおられないお題なのです。
竹生島は、聖徳太子さまが津の国へ初めてお建てになられた四天王寺の仏様を、琵琶湖の底より竹と共に生い出でました島へお運びなさいまして、なにやら島の神様と一緒になさいました。
津の国の浪速っ子はご存知のように何々するにもはよございまして天ツ神も国ツ神もすぐに一緒くたにしてしまう難波の宮でございます。
おそろしいと言えばおそろしいのですが仲良くなれるのはこれまた才能と信じ令和のいまも信仰深く宝巌寺にお腰を安らえておられます。